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新聞記事のスキャンの仕方が下手くそで曲がってしまったけれど、ご愛敬ということでお許しください。

3月1日(木)の北海道新聞朝刊の記事です。

この記事を何度も読んで、様々考えたり疑問に思ったりしたことを書きたいと思います。

1.外国語活動の目標が、『外国語を通じて,言語や文化について体験的に理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませながら,コミュニケーション能力の素地を養う。』こととなっているのを、どう解釈するかという問題がある。というより、解釈によって違いが出るような目標が、目標として適切なのか。

2.基礎的な事柄(たとえば、単純に英語の音やリズムに慣れるとか、英語の綴りと発音の関係を大まかに知るとか、英語に特有の音声について知るとか)を指導せずに、いくつかの単語や文を提示して、それを暗記させて、運用させて、コミュニケーションもどきの活動をさせることの是非が論じられていない。つまり、英語を運用させる授業をすれば、即、運用力を身につけることができるのかという疑問。もっと言えば、公教育の英語教育で、運用力をつける事があまりに強調され過ぎてはいないかという疑問。

3.マスコミも保護者も、教員研修の質や量や、そこに予算や制度的に十分な裏付けがないことをあまり問題視していない。その犠牲となっているのが5,6年生の担任であり、子どもたちであるのに、いかにも教員個人ががんばらないからだというような論調がこの記事から読み取れるが、いかがなものか。

4.この記事の中には、『ゲームに逃げる』という記述や『……どれだけ話せるようになるかと期待したが……』という記述があるが、そもそも、ある程度の単語なり句や文のパターンを記憶させるためには、ゲームなどの工夫が必要だという側面もある。どんな授業手法を採るかまで、あれこれ言われる筋合いは無い。教師達に、ゲームを取り入れることに対して罪悪感を抱かせる結果になるのなら、良い影響は生まれないだろう。また、『とれだけ話せるようになるか……』は、保護者の声だろうが、週1回45分30人以上の学級の授業で、話せるようになることを期待する方が間違っている。自分自身、中学校英語の授業だけで話せるようになったかどうか、振り返ってみればわかるだろう。


 私は、小中における英語教育の目標は、『英語運用能力そのものを高め評価する』ことに特化しない方が良いと考えます。そもそも、日本人全員が英語運用力を身につける必要があるのかという、根本的な問いがありますし、どういう運用能力が必要なのかについても、必要になった時にしかわからない。(読み書きなのか話す聞くなのか、どういう分野なのかということ。そのすべてに通用するような運用能力全般を身につけることを目標とするのは、現実的でないし経済的でもないと思う。)それよりも、もっと基礎的な事に絞って、特に、日本人が英語を学習する上でネックとなるような部分も加味しながら、段階的に学んでいけるようにするべきだと思う。その時には、インプットが十分でない段階でアウトプットを急がせない。英語のリズムやアクセントを体得させるところから、日本語にない音についての知識、文の構造や文法用語などについての知識なども徐々に教えていくようにする。認知言語学や脳科学、比較文化学、社会言語学などなど、様々な学問の知見を取り入れながら、言語や人間の言語活動、コミュニケーションの有り様を客観視する土台を築くというところが大切だと思う。

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