この19日に卒業していった子達には、特別の思い入れがある。彼らは気づいていないだろうが、『学ぶ』ということや『教える』ということについて、改めて深く考えさせられ勉強しなくてはと思った時期に出会った子達だからだ。私の教師人生にとって、深く心に刻んで忘れられないであろう子達。

 私は、『教える』ということや『学ぶ』ということについて、以前よりも哲学的に、内省的になっていると思う。たとえ、不本意なポジションであっても、自らが望んだことでなくても、教えられなくても、『学ぶ』事はできる。なぜなら、『学ぶ』ということは、学ぶ側固有の権利だから。どんなに『教えよう』としても『教えた』気になっても、何をいつどう学ぶかは、学ぶ側の問題であって、教える側が本当のところは全く関知できないモノだから。
 望むのは、私という存在が、少しでも彼らの内に、じんわりと効く肥料のように長く働くこと。私が、彼らの心に種を蒔くことができただろうこと。たとえ、彼らが咲かせる花を見ることはできなくても。

 功利主義や経済性が真っ先に語られる今だからこそ、もっと哲学的に内省的に、教師はなるべきだと思う。

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