だらだらとその6まで来てしまったなぁ

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 あんまりわかってもらえないと思うけれど、英語ノートの予算が切られたのであれば、これを好機として、各自治体、各学校で、もっと自由に教材開発したりすれば良いんじゃないの?紋切り型の文を言わせるような会話練習授業ではなくて、もっともっと、日本語も含めた言語や文化の違いや共通性、言語の働きや言語にまつわる歴史的な事柄も。 ヨーロッパの多言語政策、ユネスコの世界言語権宣言などをもっと深く学んで、外国語、母語、双方の言語教育政策をきちんと考えなければならないと思う。

 明治初期、西洋の進んだ概念、文物、仕組み、技術などを導入するために、日本政府は外国人を雇って、その外国人の母語で大学教育を受けさせていた。(法学はドイツやイギリスから、医学はドイツから、美術芸術関係はフランス、土木、建築、鉄道、農業はアメリカから、というように、複数の国の外国人を複数の分野それぞれに雇ったために、複数言語からの外来語が、日本語に混在するという結果になった。)だから、当時のエリート達の外国語能力は、特段に高かった。しかし、その後、それらの先人達が創意工夫し苦労して、その概念、文物、仕組み、技術などを表すための日本語訳語をきめ細かく造り、その訳語を使って日本語で学習できるようになったので、外国語能力が著しく低下したそうだ。
 大英帝国の植民地であった所では、今でも英語が公用語であったりするけれど、それは、宗主国からの言語を押しつけられ自分たち固有の言語、つまり母語を制限されたり奪われたりした結果であり、考えてみれば不幸なことだ。しかし、日本は、島国という地理的条件、江戸の250年間の鎖国という政策があいまって、少なくとも、そのような不幸な目にあわずに済んでいるのだ。
 
 オイラの英語は大したことないけれど、「先生、英語話せてすごい」的な目で見られる。でも、ここ9年で、英会話学校に通い、毎日NHKのBS放送のアメリカやイギリスのニュース番組を副音声で視聴し、海外でのセミナーや語学研修にも参加し、300万円以上のお金を掛けてきたので、ある程度のレベルを維持できているだけの話。要するに、このような日本の状況下では、こうして金と時間を掛けない限りは、話せるようにはならない。
 でも、それでも、学校教育における英語学習の基礎があったおかげ、特に文法をしっかり学んできたおかげで、そして、なおかつ、大学では、英語の文書を読んで要約するという演習を重ねてきたおかげで、学び続ける基礎が出来たのだと思う。基礎があって、時間と金を集中させて学習すれば、いつ英語を学び始めたとしても、自分の活動分野で自分が必要とする英語力、会話力は身につけることができると思う。ネイティブ並みの力がなければならない、ということではないのだから。っていうより、日本人がネイティブ並みの英語力を望むのは、いろいろな意味でムリ。

 こんな風に考えが変わってきたね……

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