小学校から英語を始めても、英語を使える人が劇的に増えるとは思えないんですけど。

全国一律の教科書で、一律の教え方をして、付け焼刃的に現職教員養成をして、ITC機器を導入して、ネイティブALTを今よりも少し多く雇って、帰国子女や海外在住経験者で英語話せる人を雇って、それであと7年足らずで何とかできると思っているとしたら、それは、外国語学習や外国語教授についての見識が不十分だと思います。

懸念される問題がいくつかあります。

全国一律の教科書で等しい学習環境を提供できると仮定しても、地域による学習動機の程度や英語に対する必要感などは千差万別ですから、英語学力の地域差ができるでしょう。その地域に合ったカリキュラムや目標などを、例えば、その地域の観光や産業を活性化する一助となるように、「町自慢や観光案内、グルメ紹介などを英語でできるようにしよう」ということに主眼をおいて英語学習をするならば、将来、外国で暮らすことはないだろうと思う生徒であっても、英語学習に意味や動機を見いだせるかもしれません。ところが、教科書で設定されるような、外国人とのコミュニケーションというものだけだと、地方都市に住んでいる生徒にとっては現実味も必要感も持てないでしょうね。教えるのがとても難しくなるでしょう。

それから、英語を話せる人に臨時免許状を与えて雇用するっていうのは、英語を話せることだけを条件にして教壇に立たせていいのか、話せれば教えることができるのか、ということが懸念されます。しかも、海外在住経験がある人、留学経験がある人が、そもそも決して良いとは言えない条件で働くことを選ぶのかということもあります。そして、これも、大都市と地方都市の格差が生まれるでしょうね。

小学生は、母語である日本語についての知識や経験も浅いので、客観的に言語を見る視点に欠けます。それでも、日本語が英語と同様のインドヨーロッパ語族に属していて、文法や語彙、文字や音声、発想や文化的な要素などでかなりの割合共通するベースがあるのなら、母語学習と外国語学習が相互に補強しつつ進むという可能性は高まりますが、残念ながら、全くと言っていいほど共通項はありません。学ぶときに足掛かりになるものを、小学生はほとんど持っていないということです。中学、高校になって、『言語』というものを日本語学習を通して客観的に見る視点を持つと、それが足掛かりになると思うんですけどね。その時に、40人のクラスではなくて、10人前後の少人数学習をするために、たくさんのALTなりを雇って、集中的に学習する方がよほど効果が上がると思います。特に、高校生なら、大体将来の進路が具体的になってくるので、それに特化した内容で英語学習をすすめると、すぐに身に付くと思います。

小学校から始めるとしても、英語を教科にせず、評価も緩やかにして、「英語って、こういう言語だよ」「日本語とはずいぶん違うね」「こういうことを今から練習しておこうね」程度だったら、そんなに害はないかもしれないけど、週3時間の教科にして、できるできないを評価されるって、害が及ぶ可能性を否定はできない。

日本人すべてに英語を話せるようになることを課して、いったい、この国をどうしたいんですかね。英語の素晴らしい使い手を育てるために、公教育で英語学力競争を激化させて、結局は、金持ちは子どもが小さい時から英語圏へ留学させて、自国の文化や言語を捨てさせる結果になっているどこかの国と同じようにしたいのですかね。
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