31年教師を続けてきて、果たして自分は教師に向いているのかどうなのかと、今更ながら考えます。

自分の子ども時代や学生時代について、屈託なく幸せだったかと問われたなら、イエスとは答えられない。様々な葛藤や劣等感、居場所のなさを少なからず感じていたから。けれど、恵まれていたこともたくさんあったし、両親の真面目な姿や、彼らのかなえられなかった夢や理想についても感じたり見たりすることができたこともあった。

自分を理解し、世界を理解し、自分と界のつながりを作っていく努力の大切さを僅かであっても身につけることができたのだとしたら、やはり、その基礎は両親が培ってくれたものだと感謝したい。

誰しもが、夢を見ながら苦い思いもし、自分の思い通りにならない悔しさや虚しさをばねに一生懸命になって、何とかうまくいったり何かを実現したり幸せを感じたり、そんなことで人生の大半の時間を過ごしている。

時にはいい加減にやり過ごしたり、ごまかしたりもする。

でも、人のために何かをすることを喜べること、人の気持ちや行動の複雑でめんどくさい、ある種予測不可能なものを、ひも解いたり探ったり突き崩したり発見したりするための手間を厭わないこと、人間って色々あっても面白いなぁすごいなぁと感動できることが、教師に必要な資質の一つだと思う。

自分が子どものころや学生時代はある種の殻に閉じこもっていたけれど、というか、そのころに閉じこもっていたからこそ節約(?)していた人間に対するそういう気持ちを今使っているようにも思います。上手く言えないけれど。

屈託なく幸せすぎる子ども時代や学生時代を過ごした人は、教師には向かないのかも、とも思います。
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