授業スタイルの改善とか、一時間の中で思考、知識、技能の習熟、振り返りをバランスよく配分するとか、いろいろ言われますが、そんなにかちかちきちきち行くものかしら。

いつでもすっきりわかる時ばかりではないし、わかるまでに要する時間は人それぞれだし、あまりにもそのスタイルや形に教える側がこだわりすぎると、いったい誰のための授業ですか?ってことにもなりかねない。

個人でできることには限りがあって、人は多様なのだから、いつでも、「わからない」とか、「まちがえる」とかいうことに、寛容でいられる気持ちを育てたい。自分の中にも、生徒の心にも。

正しくまちがえのない筋道をたどるのがいい、というような価値観は、時と場合によっては、暴力的に働き、人の居場所を奪い、心を壊す。

もうそろそろ、テスト点数競争による序列意識を持たせるのを排除しないと、日本の教育はいよいよ世界標準から外れてしまうのではないか。

同じようなことを繰り返しくここに投稿しているけれど、ここ何年かで本当に恐ろしいような気持ちがどんどん大きくなっているし、教える側としての忸怩たる思いも強くなっています。
関連記事