このブログに、結構何度も書いていることですが、一体全体、「英語がわかる」「英語ができる」「英語が使える」ってどういうことだろう、と考える。
 英語と格闘したことのない人は、これについても、漠然としたイメージしか持っていないように思う。
 ネイティブスピーカーと流暢に話ができるという事実、あるいは、発音がネイティブスピーカーに近いという事実のみでは、そうと言えるとは限らないのに、その事実のみで判断する人が多い。音声面での流暢さだけではなく、話している話題と内容、そして、話に伴う思考の独自性や深度などが、時に、発音や発話の流暢さをこえてその人を体現することがある。最低限の音声音韻の知識と技術があれば、内容や思考の深さや、インタラクティブに影響しあい会話内容を発展させていけるような力の方が、重要になってくる。

 日本語にしろ外国語にしろ、読み書きとは違って、コミュニケーションに関する教育については、学校教育の中では、できることとできないことがあると思う。自然発生する会話や対話のような文脈は、特に、初心者対象の授業の中では使えない。ある程度予定され、制御できる内容と範囲でしか扱えない。学習が進むにつれて、少しずつ自然発生的な要素にも耐えうるようになるとは思うけれど。
 だから、やはり、コミュニケーション能力については、最終的には、実地で力を伸ばしていく以外に、能力アップの道はないんだと思う。あるいは、高校での英語学習の中に、実地に近い環境での集中訓練的な授業を展開するとか。
 それに、他教科で学んだことを英文の資料やテキストで読み直すとか、そういうのがあってもいいと思うけど。

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