私は、とにかく、音声言語優位な脳使いの人間です。

前にもここに似たようなことを書いたかもしれませんが。

けっこう、離れている人どうしの会話や、同時に複数の音や会話を聞いてしまうことがよくあります。
(だから、オープンスペース型の教室だと、いろんな話が聞こえてきていやになる)

その理由を改めて考えると、視力が弱いからということを第一にあげることができるでしょう。
父方の遺伝かと思いますが、乱視がひどくて、小学校2年くらいから視力が落ち始め、学校で黒板の文字がよく見えなくなった。で、見えないので、先生や友達の話をしっかり聞いて、記憶するという方法をとるしかなかった。それで、その授業場面をあたかもテレビドラマのように、音声とともに記憶するという癖がついたのだと思います。
テストで、問題を読むと、それに関係することを授業でやった時の映像と音声が想起されるという現象を何度も経験したことがあります。

そのほかには、良く読書をする子だったので、文章から場面を想像するということも、得意になった。母が読書好きだったので、本をたくさん買い与えてくれたのが、功を奏したのでしょうね。
同じ兄弟でも、弟は、ほとんど読書しない子だった。弟が、小学生のとき、こんなことを言ったのを聞いて、びっくりしたのを覚えている。
良く、そんなに長い本を読めるね。ぼくなんか、読んでいるうちに、最初に読んだところをわすれてしまうよ。
正直、何言ってるんだ?こいつ?
……という感じで、全く理解不可能だったね。

最近の子は、生まれた時から、周囲に映像があふれている。
言語より映像に接する機会が圧倒的に多い。
それを考えて、教育の方法や教科書の内容などを考える必要があるように思う。
言語情報を理解し、分析し、選択し、再構成するなんていう、必要性は、ものすごく低いんだから。
でも、世の中に出れば、それを要求される。そういうことも、きちんと説明してやらないと、彼らも困るよね。

そういう中で、英語教育の低年齢化がある。
単にしゃべれることだけを求めても、結局、底の浅いものになるでしょうね。
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