小学校3年生からの英語授業の導入だけが決まっています。


小手先の教員研修をちょろちょろと行って、それで、見切り発車です。


多分、ろくなインプットもせずに、活動を楽しくさせるという、大変むだな時間となるでしょうね。


発音できない音は、聞きとることはできないのです。

聞き取りの力をつけるには、発音をしっかり覚え、身につけることが必要です。


どうせ、やるなら、徹底的に、

日本語の音と英語の音は、ちがうのだ

ということを理解させ、英語らしい発音ができるように訓練すべきでしょう。まずは、たくさんの読み聞かせをして、音声的なインプットを行うことです。

そのためには、多くの小学校の教諭が、少なくとも、中学校程度の英語と日常生活の英語を、英語らしく発音できるように、訓練しなければなりません。これまでは、学校の英語教育では、発音や発声のことを系統立てて教わったことのない人が、教員のほとんどですので。

よい発音をCDやオンラインでやればいいのでは?と考える方もいると思いますが、問題はいくつかあります。機械による音は、人間の聴覚に何らかのマイナスの影響を与えることもあるようで、肉声の方が、よいということです。さらに、音だけでなく、口や舌、あご、喉などの筋肉の使い方や動かし方を説明するためには、教諭自身ができなければ、そもそも教えることはできないということです。


それにプラス、綴り字と発音との関係を系統的に教授する方法を身につけることです。これに関しては、フォニックスのよい教材がありますから、それを採用するようにすれば、ある程度できるでしょう。


そして、教員の教材用の英語図書、そして、学習が進んでいる子達用の英語図書の充実を図るように、特別予算を配当すべきです。


しかし、私自身は、小学校低学年から英語の授業を始めたとしても、英語を使いこなせる日本人が劇的に増えるということはないだろうと思っています。

そもそも、日本には、1億人以上の人口があって、日本語で考え、仕事をし、生活している人がそれだけいるのですから、英語でやりとりする必要性や場面などは、ほとんどありません。日本語さえしっかりしていれば、生活や仕事などは成り立ちます。


私は、小学校と中学校の学校英語教育では、音声や文法などの言語的な違いと、言語への見方、コミュニケーションのパターンなどの文化的な違いを緩やかに学習するということで、十分だと思っています。

そして、入学試験の科目から、英語は外す。入学試験の科目から外されれば、何年生ではこの単語やこの文法事項を教えなければならないという、くだらない縛りから解放されるでしょう。そうすれば、小中の9年間で、それぞれが、興味関心のある分野を通して、各自の知りたい英語、話したい英語、読みたい英語を少しずつ学んで覚えて行けると思います。あるいは、自分の住んでいる自治体の観光大使になるという目的で、名所旧跡や自然公園について、外国人に紹介するという想定で、英語を学んでいくのも良いと思います。


このような、各自のそれぞれに身につけた英語を足がかりとして、高校や大学で、それぞれにちがう英語を知り合うことから始めて、将来の進路によって、人前で英語で話すことや英語で何かを書くことなどを、個別のニーズに従って学んでいくようにすれば、英語を必要とする人の英語力は、今よりも格段に上がると思います。高校では、選択制にするのがいいのではないかと思います。進路上、英語が必要のない人が、3年間学ぶのは、時間のむだではないでしょうか。それよりも、ちがう学科を深く学ぶようが、その人にとってよほどためになるのではないかと考えます。つまり、全員が英語を身につける必要はないし、同じように英語を学ぶ必然性もないのです。


たとえ、高校で英語を選択しなかったとしても、小中で学習したことが、自分の興味関心に合致したことであったり、自分達の地域に根ざした内容であったりすれば、ある程度、頭に残るのではないでしょうか。そして、後々、もっと英語が必要になったときに、それが、学び方の原型として、生かされる


入試がある限り、生徒も保護者も、英語を入学試験突破の道具としてしか見ないでしょう。生きて使える英語、生きて働く英語、コミュニケーションの英語にはなり得ないと考えます。


予算も教員数も減らすという財務省の方針が出ているのに、一体、これをどのように進めていけというのか、一国の重大な教育政策とは、とうてい思えません。


結局、小中で緩やかに、多言語と異文化という視点で学習したことをもとに、高校や大学で、個々の進路に応じた、実践的な話す聞く書く読むを集中的にやって、社会に送り出すというのが、一番よいのではないかと思います。
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